「見えない汚れ」が引き起こす長年の悩み:トイレのニオイと不衛生
「トイレは毎日掃除しているはずなのに、どうもニオイが気になる」「しっかり拭いたつもりでも、本当にきれいになっているのか不安」。多くの方が抱える、トイレの衛生に関する悩みではないでしょうか。特に男性が立って用を足す際に生じる「尿ハネ汚れ」は、そのほとんどが肉眼では確認できないほど微細な飛沫でありながら、時間の経過とともに雑菌の繁殖やアンモニア臭の原因となります。
このような目に見えない有機汚染は、単にニオイの問題に留まりません。細菌やウイルスの温床となり、感染症のリスクを高める可能性も指摘されています。特に、多くの人が利用する公共施設や、衛生管理が極めて重要となる食品製造現場、医療・介護施設などでは、このような「見えない汚れ」が大きな課題となってきました。従来の清掃方法では、肉眼での確認が困難なため、清掃手順を遵守すれば汚れは除去されたと見なされがちですが、実際には有機物が残存し、消毒効果を十分に発揮できないケースも少なくありません。
シヤチハタの挑戦:「しるしの価値」を可視化技術へ
印鑑やスタンプでおなじみのシヤチハタ株式会社は、「ユーザーファースト」を追求し、次の100年も「しるしの価値」を提供し続けることを企業理念としています。その「しるしの価値」は、単に「印をつける」という行為に留まらず、近年では「情報を可視化する」という新たな領域へと広がりを見せています。
今回の画期的な技術開発のきっかけは、同社の社員の一言から始まりました。「トイレを掃除したはずなのになぜか臭う」という日常的な悩みに直面した際、企画担当者が「シヤチハタのインキの技術を使って臭いの元が見えたら良いのではないか」と発言したことが、プロジェクトのスタート地点となりました。長年培ってきたインキに関する専門的な知見と、問題を解決したいという強い思いが結びつき、これまでの「見えない」を「見える」に変える技術開発へとつながったのです。
画期的な可視化技術の核心:着色剤と次亜塩素酸の融合
シヤチハタが開発し、国際特許を出願しているこの独自技術の核心は、着色剤と消去剤(次亜塩素酸ナトリウム)を組み合わせる点にあります。この技術は、2024年9月に応援購入サービスMakuakeでテスト販売されたトイレ用スプレー「MIERUMO(ミエルモ)」にも採用されています。
「MIERUMO(ミエルモ)」の仕組み
「MIERUMO」は、トイレに吹きかけるだけで、肉眼では見えなかった尿ハネ汚れが青く浮き上がるスプレーです。この「見える化」の仕組みは、次の科学的原理に基づいています。
- 2液直前混合方式: 「MIERUMO」は、着色剤と消去剤である次亜塩素酸ナトリウムを、噴霧する直前に混合する特殊なスプレーです。これにより、両成分が最も効果的に作用する状態で対象物に到達します。
- 有機物との反応: 尿ハネなどの有機汚染が存在する箇所では、噴霧された次亜塩素酸が有機物と反応し、その酸化力が消費されます。その結果、着色剤(インジゴカルミンなど)を脱色する力が失われます。
- 色の呈色: 有機汚染が存在する箇所では、次亜塩素酸による脱色が進まないため、着色剤の色(青色)がそのまま残ります。これにより、尿ハネ汚れが「青く見える」のです。
- 非汚染箇所の脱色: 一方、有機汚染がないきれいな箇所では、次亜塩素酸が着色剤と反応し、その色を速やかに脱色します。そのため、きれいな部分は透明に変化します。
この技術により、利用者はどこに汚れがあるのかを明確に把握でき、ピンポイントで効率的に拭き取り掃除を行うことが可能になります。これまで「なんとなく」行っていた清掃が、「確かな効果」を実感できるものへと変わるのです。トイレのニオイの元を確実に除去し、清潔な状態を保つ上で非常に有効な手段と言えるでしょう。
「日本防菌防黴学会 第52回年次大会」での発表
シヤチハタのこの革新的な技術は、微生物制御の専門家が集う「日本防菌防黴学会 第52回年次大会」にて、ポスター発表という形でその成果が披露されました。この学会は、衣食住に関連する微生物の制御を通じて、生活環境や生産環境の向上に貢献することを目指しており、今回の発表は、衛生管理分野における同技術の重要性を示唆するものです。
学会概要
学会名: 日本防菌防黴学会 第52回年次大会
会期: 2025年9月24日(水)~2025年9月26日(金)
会場: 賢島宝生苑 (三重県志摩市阿児町神明718番地の3)
発表内容:次亜塩素酸の新たな活用方法 -有機汚染と残留塩素を色で見る-
今回のポスター発表では、「電子供与物可視化キット及び電子供与物の可視化方法」(特許第7540675号、国際出願済み)を活用し、有機物除去の判定と次亜塩素酸の消毒効力の「見える化」を目指した研究成果が詳細に報告されました。
1. 有機汚染の可視化と除去判定方法
発表では、有機汚染の可視化と除去判定に関する具体的な実験内容が示されました。この実験では、0.4 wt%次亜塩素酸Na水溶液と0.5 wt%インジゴカルミン水溶液を等量同時に混合噴霧するスプレーが作製されました。
実験内容: 300 ppm(w/w)の卵アルブミン溶液で汚染したモデル表面にこのスプレーを噴霧すると、汚染部位のみが青色に呈色し、非汚染部位では脱色されることが確認されました。
除去判定: 清掃後に再度スプレーを噴霧すると、汚染部位、非汚染部位ともに発色しなかったことから、このキットが汚染除去の判定に有効であることが示されました。
これは、次亜塩素酸が有機汚染物と反応して消費されることで、着色剤の脱色が抑制されるという原理に基づいています。つまり、青色が残った場所は有機汚染が残っていることを示し、青色が消えた場所は有機汚染が除去されたことを意味するのです。
2. 可視化(脱色)と残留塩素の相関
さらに、次亜塩素酸の消毒効力の「見える化」に関する重要な知見も発表されました。次亜塩素酸Na(有効塩素393 ppm)とインジゴカルミン水溶液を等量混合する際に、卵アルブミンを終濃度7500・750・75 ppm(w/w)で添加し、色の変化と残留塩素濃度との相関が評価されました。
実験結果: 負荷物質である卵アルブミンが多い場合(7500・750 ppm(w/w))は青色に呈色し、少ない場合(75 ppm(w/w))は淡青色に呈色し、最終的に脱色しました。この結果は、色の濃さによって次亜塩素酸の消毒効力の低下を即座に視覚的に把握できる可能性を示唆しています。
科学的背景: 有機汚染物が多いほど次亜塩素酸が消費され、遊離残留塩素(FRC:消毒効果の指標となる有効塩素濃度)が低下します。このFRCの低下が、着色剤の脱色を妨げ、色の呈色として現れるというわけです。つまり、色が濃く残るほど、その場所の消毒効果が不足している可能性が高いことを示しているのです。
この発見は、単に汚れが見えるだけでなく、消毒が適切に行われているかどうかの指標を「色」で提供するという点で、衛生管理における新たな一歩と言えるでしょう。
3. その他の可視化例と応用
発表では、この技術の応用例として、まな板に付着した食材(エビ、サケ、きゅうり、みかんなど)の汚れを可視化する例や、高濃度次亜塩素酸の効力を可視化し、おう吐物処理やまな板の消毒といった感染症対策への活用方法も紹介されました。
動画コンテンツ: この技術の具体的な動作や応用イメージは、以下の動画で確認できます。
次亜塩素酸の基礎知識と「見える化」の重要性
この技術の基盤となっている次亜塩素酸は、古くから消毒剤として広く利用されてきました。その強力な酸化作用によって、細菌、ウイルス、真菌などの微生物の細胞膜やタンパク質を変性させ、不活化させる能力を持っています。病院、食品工場、浄水場など、あらゆる場所でその殺菌・消毒効果が活用されています。
次亜塩素酸の消毒メカニズム
次亜塩素酸(HClO)は、水中で次亜塩素酸イオン(ClO⁻)と平衡状態にあり、pHによってその存在比率が変化します。一般的に、pHが低い(酸性寄り)ほど次亜塩素酸の割合が高くなり、pHが高い(アルカリ性寄り)ほど次亜塩素酸イオンの割合が高まります。このうち、次亜塩素酸(HClO)が微生物に対する殺菌力が最も高いとされています。次亜塩素酸は、微生物の細胞膜を容易に透過し、内部の酵素やDNAを酸化することで、微生物を不活化させます。
有機汚染が消毒効果を低下させる理由
しかし、次亜塩素酸には一つ大きな弱点があります。それは、有機物と容易に反応してしまうことです。血液、体液、食品残渣、排泄物などの有機物が存在すると、次亜塩素酸は微生物を攻撃する前にこれらの有機物と反応し、消費されてしまいます。その結果、本来発揮すべき消毒効果が著しく低下してしまうのです。これを「塩素消費」と呼びます。特に、肉眼では見えない微細な有機汚染であっても、それが消毒効果を阻害する「負荷物質」となるため、清掃の不徹底は消毒の失敗に直結します。
「見える化」がもたらす革新的なメリット
この「有機物による塩素消費」という次亜塩素酸の弱点を克服し、その消毒効果を最大限に引き出すために、シヤチハタの「可視化技術」は非常に重要な役割を果たします。
- 清掃品質の向上: これまで見えなかった有機汚染が「見える化」されることで、清掃作業者はどこを重点的に掃除すべきか、どこに汚れが残っているかを明確に把握できます。これにより、清掃のムラをなくし、清掃品質を飛躍的に向上させることが可能になります。特に、食品製造現場におけるHACCP(ハサップ)などの衛生管理システムにおいて、清掃の「見える化」は検証の精度を高める上で不可欠なツールとなるでしょう。
- 確実な消毒効果の実現: 有機汚染が確実に除去されたことを確認した上で消毒を行うことで、次亜塩素酸が有機物に消費されることなく、微生物に対して最大限の消毒効果を発揮できます。これにより、感染症のリスクを大幅に低減し、より安全で衛生的な環境を維持することが可能になります。
- 教育・トレーニング効果: 「見える化」は、清掃や消毒作業のトレーニングにおいても非常に有効です。作業者は、自分の作業によって汚れが除去され、消毒効果が十分に発揮されていることを視覚的に確認できるため、作業のモチベーション向上や技術習得の促進につながります。特に、新入社員の教育や、定期的なスキルアップ研修に活用することで、組織全体の衛生管理レベルを引き上げることが期待できます。
- 公衆衛生への貢献: 家庭のトイレから、飲食店、病院、介護施設、学校など、不特定多数の人が利用する場所での衛生管理は、公衆衛生上極めて重要です。この技術が広く普及することで、感染症の拡大防止に貢献し、社会全体の健康と安全を守る一助となるでしょう。
未来への展望:「しるしの価値」が広げる可能性
シヤチハタは、今回の学会発表を通じて、単なる印鑑メーカーの枠を超え、化学と技術の力で社会の課題解決に貢献する企業としての存在感を示しました。新しい「しるしの価値」として可視化技術を応用した製品・サービスは、今後も多岐にわたる分野での展開が期待されます。
例えば、今回の「MIERUMO」のような家庭用製品だけでなく、食品工場での器具の洗浄度チェック、病院での手術室や病室の清掃・消毒状況の確認、介護施設での排泄物処理後の衛生管理など、プロフェッショナルな現場での応用も十分に考えられます。また、染料の選択によって呈色する色を変更したり、特定の有機汚染物に対して反応するようカスタマイズしたりすることも、今後の研究開発で可能になるかもしれません。
もちろん、この技術にはまだ課題もあります。例えば、pHによって次亜塩素酸の酸化能力は変化するため、可視化への影響を詳細に把握する必要があります。また、次亜塩素酸、クロラミン、染料、有機汚染それぞれの反応速度を評価し、より精度の高い可視化を実現するための研究も継続されるでしょう。しかし、これらの課題を克服することで、さらに広範な応用が期待できることは間違いありません。
まとめ
シヤチハタが開発した「次亜塩素酸の新たな活用方法」は、「見えない汚れ」という長年の課題に対し、明確な「答え」を提示するものです。着色剤と次亜塩素酸を組み合わせることで、有機汚染の有無や次亜塩素酸の消毒効力を「色」で可視化するというこの技術は、家庭からプロフェッショナルな現場まで、あらゆる場所の衛生管理を根本から変える可能性を秘めています。清潔な環境は、私たちの健康と安心の基盤です。この革新的な技術が、より安全で快適な社会の実現に貢献してくれることに、大きな期待が寄せられます。
商品に関する消費者の方のお問い合わせ先
シヤチハタお客様相談室
TEL:052-523-6935


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